秩父の山地から荒川の清流が関東平野に流れ出す扇状地の扇の要の位置に発展してきた緑豊かな寄居町。
 駅の南口をおり、細い一方通行の駅前の道を進むとレトロな街並みがつづく。昔は町内には三軒の医院があるだけだったというが、少し歩き回るとこの辺りに医院の数が多いのに驚かせられる。
 そこでまずは柏原歯科①。木造の二階建。妻部分や入り口柱のモダンな造形が眼をひく。昭和七(1932)年。元の診察室の天井は高く堅固で、その隣の居間には南北に廊下が走り、冷房も不要なほどさわやかな風が通り心地よい。寄居町長もつとめた初代はその顔を見ると歯痛が治るほどの名医だったという。現在三代目が道を挟んで開業。
 荒川寄りにあるのは野原医院②。大正八年(1919)。同じく寄居建設の設計。盛時は外科、内科、産婦人科も併設され付近では珍しい総合病院であった。初代は野上村の出身だが、先祖は代々川越城の御典医であったという。ポーチのファサード、樹木に囲まれた洋館は美しく、テレビや映画の格好の対象でこれまで何件も申し出があったというのも頷ける。
 "はけつけ"の壁と装飾のタイル、レンガのタイル壁、また、天井高のある一階の診査室そして二階の診察室からの窓外の眺めは大正、昭和の盛時の医院建築を髣髴とさせる。しかし、現況はかなり傷みが激しい。重厚な外観の洋館部分までの復旧は可能だろう。三代目の英樹氏の意向次第であるが、ぜひ残して欲しい医院建築である。
 風光明媚な寄居は多くの観光客をはじめ文人墨客、そして安井曽太郎など多くの著名人も訪れた地である。そうした旅人を慰める料亭や宿も健在である。
 駅近くの山崎屋旅館③。明治三(1870)年創業の旅館。大正時代にこちらに移ってきたという。昭和初期のものと思われるが詳細は不明。過日廊下の修復に訪れた大工にこの箇所は明治のものではといわれたという。木造二階、帳場脇に食堂を新設した以外はほぼ当初のもの。商人宿として活躍し、現在使われているのは十部屋。こちらは二間の間口にくらべ、奥に深い造りである。奥に長い廊下の脇には左右に中庭がひとつづつ、階段は四つと表からではわからない複雑な構造となっている。
 『玉淀の歴史』(松本武次著)は荒川を中心にした観光開発の歴史を詳しく伝える貴重な文献であるが、なかに観光のために地元の保勝会(現在の観光協会〉が建設を推進した割烹料理店の一節がある。これが現在残っている玉淀館(表紙)。昭和七(1932)年竣工。県の指定名勝に相応しい店の名称として保勝会が命名したもの。木造二階建て。一階は帳揚、料理場、風呂、数室の客室から成り、二階は大広間という構成。荒川を臨む大広間からの光景は爽快で、向こう岸には鉢形城趾が。庭に出ると川原で遊ぶ子供たちの歓声が下から聞こえてくる。折上げ天井の大広間には二百人位は収容できようか。大胆な北側の窓のデザイン、精緻な窓の桟の装飾等、建設当初の思い入れのうかがえる豪勢なつくりだが、この建物、各所に痛みが目立つ。まちの貴重な財産、文化資源に対し、早急な保全措置が望まれる。
 寄居を語るときには欠くことのできない建物が玉淀館の一軒おいた割烹旅館、京亭④。昭和八(1928)年竣工。敷地は三千平方メートル余。建物は延べ約三七五平方メートル。木造一部二階建。用材のヒノキは京都から取り寄せたという。樹木に囲まれた北側の玄関とは対照的に、座敷に面した南側は明るい日本庭園で荒川に向かって開かれ、借景にした対岸の鉢形城址の断崖を臨める。二階のガラス戸は景色をゆったり見わたせるようにと桟のない大きな一枚もの。夏の夕刻、客の去った庭におり立つと荒川の瀬音が聞こえてくる。ここは団体客の喧騒とは無縁のところである。設計は持ち主でもある佐々紅華。浅草オペラの草分け、「君恋し」「紙園小唄」などの作曲者として知られる。佐々は蔵前高等工業を出、デザインや製図にも才能を発揮していた。掃きだし窓の素通しのガラス、障子の桟の塵おとし、間仕切り等、各所に佐々の繊細な眼が行き届いている。
 まちなかに戻ると現在四代目の喜楽⑤。街路に面した看板のある建物は昭和六(1931)年。細い路地に沿い昭和十二(1935)年築の奥の木造二階建に入ると主人のセンスがいかされた洒落た空間が広がる。
 寄居の中心は秩父往還の通る商店街。ここにこそまちの人びとの生活が息づく。レトロモダンな美髪忍床、黒い板塀の続く藤崎摠兵衛商店⑥、二階の出し桁が眼を惹く峰岸家・大谷家⑦、格天井の店内が外観とともに重厚感を示す大黒屋茶舗など、時代の波を受けながら幾代も続く老舗の建物は、まちの記億をより豊かなものにして伝えていくはずである。

(広報誌 スマイル通信 Vol.37 2009年10月発行)

表紙:玉淀館
表紙:玉淀館
柏原歯科①
柏原歯科①
野原病院②
野原病院②
山崎屋③
山崎屋③
京亭④ 全景
京亭④ 全景
京亭④ 周り廊下から庭園を望む
京亭④ 周り廊下から庭園を望む
京亭④ 入り口の看板
京亭④ 入り口の看板
喜楽⑤
喜楽⑤
藤崎摠兵衛商店⑥
藤崎摠兵衛商店⑥
峰岸家 大谷家⑦
峰岸家・大谷家⑦

 

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