建築は「記憶の器」 

伊豆井 秀一 

 埼玉の住宅を紹介するという企画が寄せられたとき、当方は埼玉県立近代美術館で都内の名建築を中心にした建築ツアーを担当していた。県内ではいわゆる名建築家の設計になるものは数少ない。まして住宅に特化するならなおさらのことである。それでも4、5回、2年も続けばくらいの気持ちで受けたと思う。しかし終わってみれば、10年、合計36回となった。埼玉の住宅建築にはそれだけ魅力があるということになろうか。

  現代に生きる私たちは、拠って立つ確かな基盤をどこに置いたらよいのだろうか。

  地域に根差した建築はそこに住む人々のアイデンティティを支える。それは地域の歴史を伝えるとともに、そこの住民の豊かさを育んでいるのだ。その豊かさを探るなら、それはいわゆる名建築家の作品ではなく、時と共に風土が培ってきた身近な建造物にこそあるのだということを教えてくれているのかもしれない。

  参照資料が少なく、当初入手できたものは埼玉県教育委員会発行の『明治建造物緊急所在調査報告書』、『大正期建造物緊急所在調査報告書』の2冊くらいだった。それも昭和54年、60年の発刊でデータが古く、さらに住宅例は数少ない。そこで、市町村の文化財保護関係者や地域の古老らから得た現在の情報をたよりに、歴史家とは違う視点で、実際に歩いて、見て、確かめてまわることにした。

  取材した家屋は優に500件は超えている。

  県域全体が首都圏に含まれる埼玉では、東京に隣接している県南部、県西部の変化が著しい。10年の間には、紹介した建物が取り壊されてしまった事例もある。県東部も予断を許さない。

  しかし、幸いなことに県北部、秩父地域にはまだ多くが残されている。紹介した地域の比率もこれに順ずることとなった。

  特色と共にいくつか印象に残ったものをあげておきたい。

  八王子から飯能を抜け秩父へ、さらに世界遺産富岡製糸場へと通じる、絹・養蚕に係る越屋根のある建物は山塊を背景に美しく立っている。水に恵まれた埼玉の酒蔵はそれぞれの地域で、煙突や白い漆喰壁により重厚さと風格を与えている。利根川の氾濫に備えた水塚もある。ほとんど知られていないが、大宮には長屋門のある民家が数多く残っている。住宅街にたたずむ医院建築は穏やかに洋風の光を放ち、米穀商や茶の商家には往時の町の賑わいの記憶が重ねられる。残念ながら、所有者の意向で紹介できなかった、これこそ別荘、という見事な建物と庭園もある。旧中山道に沿ってたつ二階建ての優雅なユーゲントシュティール様式の建物、内部は宝石箱のようなステンドグラスの館、深谷市の大谷邸を紹介できたことは幸運だった。こうしたなかで、白眉は遠山記念館。その端正な空間。全国の職人がその技法を確かめにたずねてくるという近代和風建築の粋が県内にあることは誇ってよいことだ。シリーズ連載のはじめと最後の表紙を飾った建築の設計者、秩父生まれの住宅建築家、山田醇は近代日本住宅史上、忘れてはならない重要人物であることも銘記しておきたい。

  あらためて建築は「記憶の器」と思う。

  10年間の連載。建物と共にお世話になった方々の顔が浮かんでくる。取材にご協力いただいた方々に心から感謝している。こうした場を設けていただいた住まいづくり協議会にお礼を申し上げたい。編集の上山隆一さんからは数多くのアドバイスをいただいた。

 みなさん、ありがとうございました。

 


 

著者紹介

伊豆井秀一(いずいひでかず)

1949年生まれ。埼玉県立博物館、埼玉県教育局生涯学習課、埼玉県立近代美術館を経る。専門は近・現代日本美術。著書に『昭和の美術』(共著 毎日新聞社)『小茂田青樹画週』(共著 日本経済新聞社)など。
著者:伊豆井秀一(いずいひでかず)

 

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