熊谷は埼玉県北部の中心都市である。
　その歴史をたどるとき、終戦前夜の空襲は熊谷に大きな爪痕をのこした。市内中央を流れる星川周辺の建物のほとんどが被災、焼失してしまったが、そのなかで奇跡的に残った住宅がある。花岡家①。昭和十(1935)年築。地元滝澤組の施工。木造二階建て。道に面した壁面を美しいレリーフとスクラッチタイルが覆う。コーニスの装飾も花壇も昭和初期の姿をとどめている。もと割烹料理店だったものを先代が買い求めたという。奥の応接室は寄せ木造りの床、装飾の施された腰板、漆喰の装飾された中心飾りと美しい。最も驚いたのは玄関を通り抜けた奥の天井。大きな龍の漆喰の彫刻が見下ろしてくる。以前料亭だった証しである。
　市街から離れたところにある石坂家②(表紙)。二階壁に大きく据えられたレリーフがひときわ美しい。こうした洋館が市内にあるとは思わなかった。大正末から建築を始め、竣工は昭和四、五(1929、30)年と、十年ほどかかったという。木造二階建て。設計は不詳。応接間、仏壇のある洋室、書斎、女中部屋の一階。欅の階段をあがり三部屋の和室の二階。腰羽目板を廊下に沿いぐるりと回した一階応接間の壁には武者小路実篤の色紙が飾られていた。一階の各部屋の天井はそれぞれ漆喰で異なる美しい模様が施されている。裏庭をはさみ背後には木造二階建ての和館があり、ほの赤い筋目付きの土壁の塀が回る。訪れた時刻、陽はもう傾いていたが、玄関を振り向くと上部の色ガラスに秋の日射しが美しく映えていた。大正八(1919)年、有島武郎と　書簡により文学論をかわした文芸評論家石坂養平(1885～1969)の自邸である。
　そのまま北に向かうと妻沼である。その街中のほぼ中央。坂田医院旧診療所③は鉄筋コンクリート造りの平屋。昭和六(1919)年築。登録有形文化財である。玄関ポーチをつけ、外壁の正面側をスクラッチタイルで覆う。内部は漆喰、軒まわりを部屋ごとに変えて変化を与え、照明器具にはアールデコのデザインを採用。昭和初期の雰囲気が残っている。産科医として昭和五十年代前半まで使用されており、まちの近代化のシンボル的存在であった。「東京タワー」などの映画のロケにも利用されているが、現在市が購入管理し、その利用法も検討されている。
　妻沼は今、妻沼聖天山本殿が国宝に指定され活気づいている。中門の脇に三階建ての土蔵が美しく映える明治五(1872)年創業の割烹千代桝④がある。文豪田山花袋がここに逗留し、小説「残雪」を執筆したという。周囲にはこのほかお茶の西田園⑤、菓子の大福茶屋さわた⑥をはじめ明治、大正、昭和のレトロな雰囲気を色濃く残す建物が多数のこっており、地元ではこれらを生かしたまちづくりをすすめている。
　深谷寄りの三ヶ尻。嘉永年間(1850年)に創業したという権田酒造⑦。木造二階建て。
　当代、清志氏は六代目。現在の建物は大正八(1919)年築。火事で焼失したあと、足かけ三年、丸二年かけ建てられたという。中村不折揮毫の扁額のある店と住居を兼ねたこの建物、間口が五間もあり、かなり広い。出し桁造りの二階は格子台が高い。奥には昭和二(1927)年に建てた酒造蔵と貯蔵庫が控える。いくつかある銘柄のうち、「空の華」には近くの自衛隊の前身、陸軍飛行学校の飛行士の悲話が隠されている。
　南に向かうと荒川近くに重要文化財の平山家住宅⑧がある。木造平屋。十八世紀初頭のものと推定されている。周辺地区の名主を代々務めた旧家で、少し前までここに住んでいらっしゃったという十八代目の重良氏が案内をしてくださった。軸部が高く、梁間が他の民家に比べ大きい。したがって奥行きがあり、広い空間となっている。さらに、豪快に湾曲した梁、桁がうねりながら頭上を這う。柱には鉋を用いて仕上げたあとが残る。装飾は一切ない。障子を通した秋の日射しがやわらかく板の間を明るく照らし出していた。
　最後に大里の根岸家⑨。江戸時代中期から名主を務めた名家。当代は十七代目の友憲氏。江戸時代後期の豪壮な長屋門を通って屋敷内に車を止めさせていただき、右手に。今回は住宅が主眼。明治四十四(1911)年から工事が始まり昭和四、五(1929、30)年頃、十四代の時に現在の住宅が完成したという。木造二階建て。フランス瓦の屋根には避雷針が。ドア、引き戸と二重の玄関を開けると奥に十二畳の和室が二間。その和室をぐるりとまわる廊下は幅が一間もあり広い。大森貝塚の発見者E・モースが逗留した際のスケッチも残る。二階の六部屋ある周囲にも一階同様広い廊下がめぐる。蔵の脇を通り外に出ると広い庭園、それに明治期の蔵、見事な彫刻の施された稲荷神社などが一万坪はあるという広い敷地に点在する。
　建築は記憶の器。
　熊谷はたしかな歴史を編みながら歩んでいる。

（広報誌 スマイル通信　Vol.50　　2013年1月発行）