寄居を抜け秩父鉄道波久礼(はぐれ)駅を過ぎるあたりから左手に荒川、右側に秩父の山並みがせまり風景が変わってくる。国道140号は、長瀞町、皆野町を貫通し古い街並みを変貌させている。
 まず、長瀞、野上駅の周辺を見ていく。
 140号沿いにベイウィンドウ、下見板張りの水色の建物がひときわ眼をひく。旧永田医院①。木造平屋。今は閉じているが二代目まで内科・外科の診療を行っていた。 昭和八(1933)年頃の築。高い天井の廊下、奥にはレントゲン室も残る。受付玄関から上がった四、五畳の部屋は、以前畳敷で地元の人たちの格好のコミュニケーションの場だったという。テレビドラマにも登場したレトロな雰囲気たっぷりの医院建築である。
 少し先には付近で女医の小児科として知られていた旧村田医院。醸造業を営んでいたが、先代が店蔵の一階を改装し、大正五(1916)年に開院したという。石造りの門柱が庭に寂しく横たわっていたがかつての偉容は残っている。
 昔、野上の眼科は名医で評判だった。それが駅前の落合医院。建物は新しく建て変わっていた。その前に板塀でかこまれた塩谷家②がある。長瀞総合博物館のコレクションはこちらの先代のもの。先の落合医院とは親戚。木造平屋の主屋は大正三~四(1914~1915)年の築で近くの棟梁による。茶室のある離れは昭和六~七(1931~1932)年の築。こちらには庭が表、裏、そして中庭と三ヶ所。そのうち表の庭には奇妙な金属製の棒状のようなものが二機。これは戦時中、将校が離れにとまったときに毎日布団を干した物干し台だという。戦時の遺物で現役である。
 この付近の住宅で忘れてならないのは板葺農家の典型として重文に指定されている旧新井家住宅③。木造平屋。土間と四部屋からなる。残された延享二(1745)年の祈祷札からこの頃のものと推定されている。特筆すべきは屋根の構造。栗板を敷き、そこに石を載せる。荒川から拾い上げられた川石が見事にラインを成している。軒先の格子も農家としては珍しい。内部は奥の部屋は畳敷きだが、ほかは板敷き。時を封入した板戸も美しい。
 次に皆野町の駅前通り。丸八商店をはじめ、レトロな街並みが続く。昭和十四(1939)年築のモルタル造りの金子米店精米所④。戦時下、皆野地区内の数軒の米店の精米を一手に処理したという。時代を乗り越え風雪に耐えてきた。

  長瀞、皆野周辺の建築で特徴を挙げるなら、養蚕農家の存在だろう。
 樋口駅と野上駅のほぼ中央。総合射撃場に向かう手前、山間の野上下郷地区。付近には林姓が二十五軒ほどあるという。そのうちの一軒、林家⑤。豪壮な養蚕農家で竣工は明治二十三(1890)年。特筆すべきは隣接する土蔵の背後 の木造二階の蚕室に主屋の二階が渡り廊下で結ばれている部分。数軒おいて門と塀に囲まれた新井家⑥。こちらは秩父地域でも有数の種屋、もと「秩父蚕種(有)」。広い敷地には以前七、八棟の蚕室が連なり、林家に見るようにその蚕室の各棟を渡り廊下が結んでいたという。重厚な木造二階の主屋は日露戦争を挟んだ頃のもの。
 「お助け普請」といえば、江戸期以来の、不景気で仕事のない職人たちの救済のために生み出された普請。ところが、野上下郷地区では「普請無尽」という言葉を耳にした。地区周辺の人たちがくじをつくり、くじをあてた人の新築のために材木の供出を含め労力を提供するという互助制度である。そのうちの 一軒、根岸家。木造二階建ての典型的な養蚕農家で、明治初期のもの。
もう一軒、染野家⑦。こちらも普請無尽による。大正期に公会堂がつくられるまで地域の集会所の役割を果たしたという。堂々たるかまえで土間の天井は高く、居間は帯戸も残る田の字形の間取り。部屋の周囲にぐるりと廊下をまわす。明治末の築という。緑泥片岩の重なる石垣に見事に映えている。
 他にも大澤家の洋館も見える岩田地区の模範蚕室を改修した割烹尭田(ぎょうた・表紙)など。
 皆野町下日野沢川地区。車でしばらく山間の道をのぼって行くと突然視野が開ける。見上げると豪壮な二階建ての養蚕農家。明治期大火に襲われた後にたてられた木造二階の養蚕農家、山本家⑧
 さらに奥に進むと250年ほど前の築で村長もつとめた田村家。天井からは蚕を温めるために炭をいれたトタン製の方形の火炉がさがっていた。
 日野沢川を下ると麓付近には木造二階に三つある煙出しの間から魔除けの獅子噛みの屋根瓦が見下ろす浅見家。昭和元(1926)年築。こちらも日野沢村の村長を務めた家である。
 同じく皆野町、門平(かどひら)家⑨。家の中に入り驚いたのは一階土間の大きな箱階段。座敷から上がる際に使うならともかく、土間からである。延享年間、現在の皆野日野沢の門平(かどだいら)地区の名主が奈良尾から移住してきたと『日野沢村誌』が伝える当家。主屋は一階四部屋と養蚕用の二階。隣接して二階建ての蔵が二つ。秩父事件の際には難にあったという。
 風土に根ざし日本の近代を経済の側から支えてきた養蚕農家の建物は、山あいに美しくたち続けている。

(広報誌 スマイル通信 Vol.52  2013年7月発行)

 

表紙:割烹尭田
表紙:割烹尭田
旧永田医院①
旧永田医院①
塩谷家②
塩谷家②
国指定重要文化財 新井家住宅③
国指定重要文化財 新井家住宅③
金子米店精米所④
金子米店精米所④
林家⑤
林家⑤
新井家⑥
新井家⑥
染野家⑦
染野家⑦
山本家⑧
山本家⑧
門平家⑨
門平家⑨

 

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