深谷紹介の二回目。先ずは市内、中山道を越える。
 下見板張りの建物で窓枠の上になつかしいデザインが見られる河田歯科医院①。もと養蚕の講習所だった建物。それを物語るように、入口には柱頭に繭を模した石の門柱が立つ。大正十四(1925)年築。当時講習所の講師を務めていた河田一郎氏が購入し、歯科を開院した奥様が昭和七(1932)年に改修したという。平成九(1997)年に現在の状況にさらに改修。向かって右側に受付、そして天井の高い診療室、左側が住まいで四室。最奥は応接室で残りは和室。住まいの四室中央を講習所当時の昔の廊下が走る。プラタナスの巨樹が来し方行く末を見守るように堂々と立っていた。
 以前の調査で登録有形文化財のこのユニークな不思議な建築をたずねている。五年ぶりの訪問。粟原家②。遠望すればどの建物かは一目瞭然。何せ高さ18m。もと陸軍造兵廠の給水塔だったもの。鉄筋コンクリート造り五階建ての打ち放し。昭和十九(1944)年築。昭和三十(1955)年払い下げになったものを落札したという。一、二階は高さ4~5mとかなり高い。一階は玄関兼応接間。二階に台所、食堂、トイレ、風呂場、寝室。三階は子供たちの部屋。四階は物置兼作業場。五階は水が満々と湛えられていたという。厚さ50~60㎝はあろう分厚いコンクリートの床板をくりぬいた天井を抜けて鉄の階段を上がっていくと荷物用のリフト。それに乗り屋上へ。屋上からは深谷市街が一望できる。剛直な、垂直にドーンと聳える塔。窓もなかったこの塔に改修を加えながら住宅にした栗原さんのお父さんの発想に感服。
 車を北へ。渋沢栄一に多大な影響を与え、富岡製糸場の場長も務めたいとこの尾高惇忠生家③。主屋の木造二階は屋根の真壁造り。江戸末期のもの。和室六部屋、それに板の間の付設された二部屋、土間をはさんで倉庫。さらに二階 は高崎城の乗っ取り計画が練られた和室二部屋など。裏側に煉瓦造りの倉庫が立つ。渋沢栄一の設立した日木煉瓦製のもので七代目が日本煉瓦に勤めた縁でつくられたと九代目のお話。明治三十(1897)年前後のものだという。
 西へ進むと渋沢栄一の生地、中の家(なかんち)④(表紙)。広い敷地内には多くの建物が並ぶが、主屋は木造二階建て。梁間五間、桁行八間の建物に三間三間の平屋が付設。明治二十八(1895)年築。典型的な養蚕農家のつくりである。賓客用の奥座敷もふくめ一階は六部屋。 一時期八基村の農業組合事務所となった副屋は明治四十四(1911)年築で庭をはさんだ南東に。大谷石の貯蔵スペースのある蔵、米蔵、座敷ももうけられた土蔵も。埼玉県指定旧跡である。
 屋敷の裏側に回ると大屋根の家が眼に入る。富田家⑤。四百年程前に武士から帰農し十五代目という。蚕の種屋だったという。八基村の村長もつとめた名家。木造二階。屋根と内部の一部を30年程前に修復しているが、内部は天井が高く、豪壮である。明治元年(1968)、五代前の万次郎の時に竣工。新潟からきた棟梁二人で二、三年かかったという。一階は床の間のある十畳の部屋からはじまり、九部屋。表の廊下と平行に内部を走る廊下。部屋を仕切る帯戸が時を重ねて美しい。建物を東西に区切る無双の帯戸が奥までずらっと続く。60mという煉瓦造りの西側の塀は象徴的である。
 さらに西へ。丸山酒造⑥。明治六(1873)年、熊谷で創業し、こちらに明治十六(1883)年越して現在五代目。石井拍亭などの画家もよく泊まっていったという。店の北側に連なる方の建物はすまい、窯場、本蔵、北蔵(昭和九年)、東蔵(江戸中期)と続き壮観。なかでも万永元(1860)年築荻野吉繁再建の棟札がある本蔵の大屋根は感動もの。すまいは昭和十三(1938)年竣工。地元の大工が手がけ二、三年要したという。柱は高く、格子の桟の美しい障子が店を囲む。一階は六部屋、二階は和室四部屋。煉瓦造りの煙突は大正九(1920)年の築。大震災以後、鉄骨で囲っているがこれが旨く調和している。
 さらに車を市内北部へ。
 利根川を控えている中瀬地区はこの川の舟運による物資中継のターミナルだった。利根川沿いに車を進めると中瀬神社、吉祥寺附近は往時の繁華なまちなみを彷彿とさせる家並が続く。江戸期、五代目十郎左右衛門が秩父地方の木材を中心とした物資を集散し江戸へ運んだ河岸場の船問屋、河十⑦。しかしこの舟運も明治十六(1883)年の深谷駅の開通により、急速に衰運の一途をたどり、河十も明治二十三(1890)年廃業している。木造二階の主屋はその遺構。明治二(1869)年築の建物を明治七(1874)年に修築。お話を伺ったのは十五代目。桁行十三間、梁間七間の壮大な空間。廊下を南に一階は和室十二部屋、二階は養蚕用、その上に越屋根。この越屋根、利根川の向こうから襲う賊を見張る機能も果たしていたという。その越屋根まで続く梯子のあと、部屋を南北に横断する板戸、上がり枢の段差など、時代の確かな息吹きを伝えている。

 深谷は、豊かな歴史を紡ぐまちである。

(広報誌 スマイル通信 Vol.54 2014年1月発行)

表紙:中の家
表紙:中の家
河田歯科医院①
河田歯科医院①
栗原家②
栗原家②
尾高家③
尾高家③
中の家④
中の家④
中の家④
中の家④
富田家⑤
富田家⑤
丸山酒造⑥
丸山酒造⑥
丸山酒造⑥
丸山酒造⑥
河十⑦
河十⑦

 

<#30 藍のまち 羽生